『インターネット』に決まっているだろ、と。
その通りです。私もそうでした。でもそれでいいんでしょうか?
『ぼっち』という生き方は、疲れないようでいて非常に疲れます。
精神的に気にしてしまうことが非常に多いからです。
特に、『誰かと関わる必要が出てきた時』の気疲れが尋常ではありません。
例えば実験で誰かとペアを組まざるを得ない時、昼休みにどこで食事するか考えるとき、授業で忘れ物をして教科書を見せてもらわなきゃとか考えるとき、体調不良で休んだ時のレジュメをどうするか考えるとき、etc…。
とにかく、『ぼっちで生きること』は多数の不都合、障害を生み出しますから、それに伴い非常に多くの不安を生み出します。
そのせいで、気楽に生きれる部分も多い反面、その実非常に気疲れしてしまったり、月曜日が憂鬱になってしまったりするものです。
それだけに、『土日は家でゆっくりしたい…』と思ってしまい、どこにも行かず家でネットをやっている内に土日が終わる、というパターンを何度も何度も経験しました。
『ぼっちの何が疲れるんだよ?』と思う人も多いかもしれませんが、精神力は生まれたての小鹿以下なので、本当に疲れているのです。
ただ、ここまで述べれば分かるように、疲れたというのは心が疲れているだけであって、肉体的には全く疲れていません。ただ気怠いだけです。
この気怠さを癒すためにネットに入り浸る、というのは、今にして思えば間違いだったようにも思えます。
当時の私は全く気づきませんでしたが、『外に出て太陽を浴びる』ということが、意外にも気持ち良いものだと分かりました。
毎日大学に行くのにお天道様の下を歩いていましたから、それを何らどう思うこともなかったのですが、今、『何の目的もなく歩く』という行為に楽しみを見いだせています。
『ぼっち』が外に出てやれることなんて、せいぜい本屋で漫画の立ち読みか、1人カラオケか、ちょっと高めのランチを食べるくらいのもので、だったら家でいいや…と思いがちですが、ふらふら出歩くというのが意外と精神的にも良かったりします。
あの頃は『疲れてるから…』という理由で土日は外出拒否でしたが、疲れの根幹を考えれば、ネットなんぞしてるよりも何も考えず、好きな音楽でも聴きながらぶらぶらしている方が良かったと思っています。
疲れの根幹は『誰かと関わらなきゃいけない』でしたが、『何の目的もなく歩く』という行為は誰かと関わる余地がありません。
体が疲れている訳でもないので辛くもなく、天気が良ければなんとなく気持ちが良い。
今の私はよく散歩をしています。あの頃の自分に言えることなんて一つもありませんし、『頑張れ』なんて口が裂けても言えませんが、一度散歩してみたら、とは言っておきたいです。