私は『ぼっち』ではありますが、『ニート』ではなく、今後もなろうと思いません。
『人の繋がり』以外の何が、社会と私を繋げているのか?
私は20年来、筋金入りのぼっちではありますが、大学院を卒業して以来、『ニート』になったことはありません。
会社に出れなくなったこともなく、今後もぼちぼち働いていくものだと思っています。
『ニート』が誕生するまでには、往々にして『ぼっち』という過程が入り込んで来るかと思いますが、私はまだニートになりそうにはありません。
『ぼっち』であることは、ニートになるための必要条件であっても、十分条件ではないのでしょう。
私がニートにならないで済んでいるのはなぜなのか?
金がない、というのはあるでしょうが、今のご時勢、親に養ってもらったり、生活保護を受けたり、手段を選ばなければ『働かずに食べていく』ということは十分可能であるように思えます。
インターネットがある今なら猶更です。『働かずに食べて行く方法』を調べて実行することは、決して不可能では無いでしょう。
それをしないのは…自分でも分析し切れていませんが、結局の所、『筋金入りのぼっちだから』なのではないかと思います。
『人に養ってもらう』ということに、非常に高いハードルを感じているのです。
養ってもらうには、関係性を築かなくてはいけない。
親は無限に養ってくれるわけではない。生活保護なら担当者が付く。
どう足掻いても、深くかかわらなくてはいけない相手が存在するのです。
勿論、自分で働く分にも勤め先が居て、同僚が居て…というのはありますが、『取り換えの利く歯車』であれば別です。
必ずしも私でなくては出来ない仕事などはなく、『私である必要が無い』ということが逃げ道なのです。
親にとって、ニートの子供は特別な存在です。良くも悪くも。悪いの方が遥かに強いでしょうが。
生活保護担当者にとっても同じでしょう。
会社務めでは取引先は『個人』ではありませんが、生活保護担当者が付いてしまえば完全に『個人と個人』ですし、逃げ場がありません。最後の砦になってしまうのですから。
それを思えば、私は1人で働いていきたいのです。
ニートになるくらいなら働いた方がまだマシだからです。
だって、ぼっちだから。