『実家暮らし』をしていると、『自分は寂しさなんか感じない人間だ』と錯覚します。
自分が特別だと、思い込みたくなってしまうのです。
『ぼっち』である根源には、『ぼっちであることを恐れない心』があると思います。
当然ですよね。ぼっちが本当に嫌だったら、金魚のフンになってでも誰かと一緒にいようと思いますから。
そういう防衛機構が働かないということは、すなわち『別にぼっちでもいいや』という思いがどこかにあるのだと思います。
もう少し言えば、『ぼっちでも自分は生きていける』という自信が、少なからずどこかにあるのでしょう。
しかし、その『自信』は本当に裏打ちされたものであるのでしょうか?
本当に1人で生きてきたという人については言うことはありません。
実際にずっと1人で生活してきたのであれば、それは何にも勝る裏打ちですから。
でも、実際には多くの人が常に『家族』と共にあったでしょう。
家に帰れば誰かが居て、夜の帳が下りても同じ空間に誰かがいて、朝目が覚めると誰かがいて…。
その『当たり前』を見逃して、自分が『孤独に強い人間』だと錯覚していることは無いでしょうか?
私は1人で生きるようになって、その錯覚に少しずつ気付いていきました。
そして、私のような『ぼっち』がその問題を解決するために逃げ込む先が『インターネット』です。
それは例えば掲示板サイトであったり、twitterのようなSNSであったり、とにかくそれらインターネットメディアで発言する回数は飛躍的に向上したのです。
勿論、20年来『ぼっち』を続けてきた私は、『金魚のフンのやり方』すら分からないので、こうやってネットの世界で『孤独』から逃れていきました。
そして厄介なことに、ネットにのめり込んでいる時は『孤独から逃れている』という実感がないのです。
孤独から逃れるためにネットをしているのに、当の本人は『自分は孤独でも生きていける人間だ』と思ってしまうのです。
何故なら、現実で誰にも会ってないから。
ネットはただの暇つぶし、自分は今も1人でずっと生きている。
そんな風に思ってしまうのです。
実家暮らしは、インターネットは、『寂しがりな自分』を濁らせます。
『自分は1人で生きて行ける人間だ』
本当にそうならいいのです。
でも、もし本当にそうでないのなら…
少しでも早く、その思い込みを取り除いてみてください。
あなたがまだ学生であるなら、もしかしたら、ほんの少しだけ、誰かと繋がれるチャンスを得られるかもしれません。
私も、『自分が孤独に弱い』と、本当に知っていたのなら、学生時代、もう少しだけ何か起こせていたのかもしれません。