『高校で勉強が出来る』と『大学で勉強が出来る』は全く違います。
私は、勘違いして挫折しました。
高校生の時、私は非常に勉強が良くできました。
全国模試や定期テストでも、常に学年やクラス内で三指に入る成績でしたし、自分でも『自分は勉強が出来る』と思っていたものです。
実際、小学生・中学生・高校生の頃は勉強で困ったことはなく、分からないまま終わるという内容は基本的にありませんでした。
私にとっての勉強は、主に『忘れないように復習する』ことがメインだったのです。
私は大学に入るまでずっと、そのような形で『自分は勉強が出来る』と思って生きて来て、大学に入学した直後に大いに挫折しました。
『線形代数』『微分析分』の授業が理解出来なかったのです。
まあ、今にして思えばあそこまで挫折したのには『ぼっちの不安』というものが大いに作用したことは間違いないのですが、『感覚的に理解出来ない概念』が急激に増加し、自分1人では全く処理が出来なかったのです。
結局の所、自分の力を過信していたのです。ぼっちであるが故に。
小学生の頃、中学生の頃、高校生の頃、あれだけ先生から色々なことを教わっていたというのに、私は『自分の実力だけで勉強が出来ていた』と勘違いしていたのです。
高校生の勉強の内容はほとんが中学生からの延長、その中学生の勉強内容も多くは小学生の延長だったのに対し、大学の数学や専門科目で習う内容はその多くがこれまでの延長線上に無いと感じられるものでした。
(本当に賢い人ならきちんと地続きに感じられるのかな?)
『分からなければ人に聞く』
人として基本中の基本ですが、『ぼっち』という人種にとってこのハードルが非常に高いのは、同じ『ぼっち』の人であれば分かってくれるでしょう。
気安く話しかけられる友達もいなければ、授業が終わればそそくさと研究に戻る教授を捕まえる度胸もなく、しかも1回で聞き終わらないことも明白なので、結局は『ネットで調べて自分が頑張る』という選択肢しか取れないのです。
当時の私は、環境諸々も相まってここで大きく躓き、ボロボロになりました。
試験については過去問云々、というのが大学生でよく聞く話ですが、私にはそんな伝手もなく、唯一の繋がりであったサークルにも同じ学科の先輩もおらず、結局は単位を多数落としながら、ギリギリで進学して行きました。
『自分は勉強が出来る』という自信は、本当に自分の実力に裏打ちされたものでしょうか?
『ぼっち』で生きるということは、思っている以上に過酷です。
人は1人で生きているように見えて、多くの人に助けられていたのだな、と、ぼっちを続けることで強く実感できるものだと思います。