『ぼっち』にとって、環境の変化程恐ろしいモノはありません。どの道、行きつく先は同じだというのに…。
大学に入学するにあたり、『大学受験』を通過した人は多いでしょう。
『ぼっち』にとって、『勉強』というのは結構相性が良いのではないかと私は思っています。
少なくとも、教科書を開けば自分1人でも前には進めます。勿論、友達を、先生を塾の講師と上手くやって近道出来る人はいるでしょうが、何となく学校に通って、塾に通って、というだけでも勝負になるのが『大学受験』なのではないでしょうか。
大学に入ってから、また社会に出てからは、『勉強のようには上手く行かないなあ…』という思いはよく抱きます。まあ、厳密には『大学受験用の勉強』ということにはなるのでしょうね。
話はそれましたが、『大学合格』から『大学入学』までの間の話です。
『大学合格』は非常に嬉しい成功体験です。実際、私も非常に嬉しく、今尚人生最大の成功体験の一つに数えられるそれです。
しかし、合格から時が経つにつれ、その喜びは『不安』に塗りつぶされていきました。
それは様々な要素を孕んだ不安ですが、単的に言えば、それは例えば『休み時間や講義終了後、話したり連れ立ったりする相手が1人も出来ないんじゃないか』という不安です。
不思議なものです。高校時代もそんな相手はいなかったというのに、ここでまた不安になるのですから。
『同じ過ちを繰り返さないように頑張ろう』とか、『どうせ今と同じだから考えるほどの事もない』とか、そうはならないのです。ただただ不安になる。
正直、当時の心境はあまり正確には思い出せません。言語化するのも難しいので、また考えがまとまったら詳しく書きたくもありますが…。
何にしても、そんな不安はものの見事に的中します。入学後、私には休み時間や移動時間や講義後を一緒に過ごす相手は、少なくとも学科内には一人も出来ませんでした。
この後、私に『一緒に講義を受ける相手』が出来るのは実に3年後、『研究室』という環境が作ってくれた相手が誕生するまで待つことになります。
そんな未来を、私は入学前から既にある程度予想していたことになります。
きっと、多くの人は『大学入学』に向けて、不安は勿論あるものの、期待や希望も同時に抱いていたのではないでしょうか?入学後、同期の皆の顔を見る限り、私はそんな風に感じました。
入学式の日、単位の説明会の日、学科の同期で初めて集まった日、何だか暗い顔をしているヤツ、最初の最初なのに誰とも関係を作ろうとする気配すら発しなかったヤツはいなかったでしょうか?
きっと、彼の心は希望も期待も無く、ただただ不安だったのかもしれません。別にその場が嫌で暗い顔をしていたのでもなく、ただ不安だったのでしょう。
だって、彼らは『環境』が、『相手』が味方をしてくれないと、共に過ごす相手を作れないのですから…。